男あるじは、今日も「平家物語」を片手に、小春日和の午睡をむさぼるわが縁の下にやってきて、
「平家物語というのは、実に、多くの人物が登場するのだぞ。平家では清盛、父の忠盛、子の重盛をはじめ平家の公達や時子、滋子、徳子など女達、源家では義朝、頼朝、義経、頼政など、そして摂政関白太政大臣家の藤原一門、天皇では白河、鳥羽、崇徳、後白河、高倉、安徳、待賢門院璋子、美福門院得子、そして市井の白拍子である仏、妓王、妓女と総勢主立ったものでも160有余となる。これらは、皆、実在していた人物だ」と話し出した。 わが輩は、
「すると平家物語は作り話ではなく、実話なんでしょうか」と眼できくと、男あるじは、
「ほとんどは史実と受け止められている。ただ、源平の合戦の約百年の後の鎌倉時代にいまのようなかたちの物語になったと推定されている。勝利した源氏の世の中で叙述されているので、当然、『平家にあらずんば人にあらず』とばかりに奢った平家は、圧政を敷き、横暴を働いた者として描かれている。しかし滅びの美をもっても描かれてもいるので、読者の哀感を誘う。この物語には、ただ起きた出来事を記すのではなく、書き手の思いが随所に込められている。その思いは、『猛き人もついに滅びぬ、ひとへに風の前の塵に同じ』という盛者必衰、そして諸行無常の歴史観である」と続けた。
  わが輩も、この辺を睥睨していた大きなどう猛な犬がいたことを思い出した。散歩で運悪く出くわすと、野太い声で一声上方から威嚇されたものだ。飼い主も太いリードで牽制するが、犬の方が力強く、思うように抑止できないようだった。わが飼い主も、相手が悪いとばかり弱腰でいっこうにわが輩を守ってくれないので、この犬様がお通りになるときは、わが輩は尻尾を垂れて恭順の意を示し、けっして逆らわないようにした。だが、猛け犬もついに滅び、あっけなくこの世から居なくなった。それからはこの辺はわが天下となった。というのも、中型犬さえ飼うことが厭われるようになり、近所のイヌみな小さな室内犬となったので、わが輩はさして大きくはないがシェパードの血が混じるせいか、猛々しくみえるようになったらしい。時には勇敢にわが輩にキャンキャンと小うるさく吠える犬がいるが、わが輩が睨んで前足で押さえ込みにかかるとすくみあがった。飼い主はあわてて抱っこしてやり、そそくさとわが輩の前から去っていくようになった。なにもわが輩が威張っているわけではないが、自然にこんな役回りを負わされるのだ。もっとも、他のイヌから恐れられ、敬遠されるのも悪くはない。こんなわが輩の思いを察したと見えて、男あるじは、
「おまえも、そんな大それた了見だとはやばやとこの世からご退場となってしまうかもしれんぞ。もそっと謙虚にふるまわねばな。清盛にもその権勢欲をいさめる者がいた。それは嫡男の重盛だった。しかしその心労からか病を得て43歳で早世してしまう。平家物語にも、重盛が必死に清盛の横紙破りをいさめたために世はかろうじて平穏を保てたとし、その早い死が平家滅亡を加速したと断じている。おまえの横紙破りのような犬勢を、飼い主が抑制しているからこそなんとかご近所からも苦情がでないのだぞ。心せよ」とえらそうに述べた。
  わが輩は、憮然として何おか言わんやだ。男あるじがご近所からまがりなりにも受け入れられ、挨拶されるのはわが輩のお陰なのだということを知らないのか。この愛らしいわが輩がいつも散歩にお相伴するから、ご近所の皆さんも「まあ、クウちゃんいつまでも若々しくてかわいいね、いい子だね」と、まず言ってくださり、そのついでに「よいお供がいてよろしいわね」と男あるじにも挨拶するのだぞ。わかったか。

「冬の薔薇 まわりの冷気 温めたり」

徒然随想

-平家物語 2